言葉にならない… | 旦那と娘と6わんと暮らす主婦の日記

言葉にならない…


ここ数日、めずらしく軽~い鬱状態なみっちーです。


今日の内容は…重いよ涙




子供の頃から、家にペット(ネコ・鳥)がいなかった時期はなかった。

一人っ子だった私に、両親が兄弟代わりとして飼ってくれていたのかもしれない。

私の感受性はペットに与えてもらった部分が、非常に大きく占めていると思う。


幼稚園児だったころ、インコを飼っていた。

とてもよく懐いたインコで、私はその子が可愛くてしかたなかった。

その子はとても賢い子で、ある日の夜、自分で鳥小屋の戸を持ち上げ、私達が眠る布団にもぐりこんできた。

そんなことなど気づかない母が、寝返りをうった時、その子は潰されて死んでしまった。

私は、2週間ほど思い出しては泣いていたらしい。

亡くなって数日経つと、私が泣く姿を見た母がものすごく悲しむから、コタツにもぐって泣いた。

きっと、私が 『死』 について生まれて初めて直面した出来事だった。


その子が亡くなってからは、うちによく遊びに来る野良猫を可愛がるようになった。

小学生になる頃、うちではその野良猫を飼い始めた。

いつだったか、ネコは赤ちゃんを産んだ。

私のベッドの下で出産した。

親ネコは、私が生まれたての子猫を触っても怒らなかった。

かといって、育児放棄していたわけではなく、きちんと子猫のお世話をしていた。

これが、私の 『誕生』 についての生まれて初めて直面した出来事。

まだ、低学年だったけれど、鮮明に覚えている。

ものすごく感動していた。


子供の頃から結婚するまでは、もっぱらネコ派だった私。

旦那が猫アレルギーで、結婚してからはネコが飼えなかった。

でも、旦那は大の犬好きで、犬にはアレルギーもでない。

結婚してすぐの頃、友人宅の豆柴が出産し、貰い手を探していると聞かされた。

私達はその話に飛びついた。


でも、犬を飼ったことない私は無知だった。

フィラリア、ワクチンなどの知識すらなかった。

今思えば、無責任な飼主だったと思う。

ただ、一緒にいて、ゴハンをあげて、遊んで、可愛がればいいと思っていた。

結果、数年後その子をフィラリアで亡くしてしまった。

ものすごく後悔した。


豆柴が亡くなって1年後くらいに、娘が家の中で飼える犬がほしい、と言った。

その頃には私も、また犬を迎えたいと思っていた。

今度は飼主としてきちんと知識を得るために、いろんな本や雑誌を読んだ。

そして4年前、きりを迎えた。


私は、ネコが出産した時の感動を娘にも、と思っていた。

一応、本を読んだり、獣医さんに相談したりして、きりに出産をさせた。

繁殖について賛否両論あるけれど、私はブリーダーでなくとも、きちんと勉強し、知識を得た人ならば反対はしない。

でも、その勉強はとても奥が深くて、到底、今の私に追いつけるのもではないと思った。

だから、もう、私は二度と繁殖はしない。

世間にブリーダーと呼ばれる人たちはたくさんいる。

信頼できる方もたくさんいらっしゃる。

でも、その裏側で、ブリーダーと称したパピーミルがたくさん存在しているのも事実。

私の軽い鬱状態の原因はまさしくこれで…


大阪・和泉市の犬の繁殖業者が飼っていた犬が「ブルセラ病」という感染症にかかっていた問題で、大阪府は「人に感染する可能性がある」としてけさから119匹を安楽死させる処分を始めました。

この問題は、和泉市の犬の繁殖販売業者が飼っていた約260匹の犬のうち119匹が、非衛生な管理から、流産などを引き起こすブルセラ病という感染症にかかっていたものです。
犬は、動物愛護団体が譲り受けた後、大阪府が引き取って専門家らと協議していましたが「治療しても再発の可能性があり、人にも感染のおそれがある」という理由で今年2月感染した犬の処分を決めていました。
これを受けてけさ5時前から和泉市内の飼育場所で、感染した119匹を睡眠薬や麻酔で安楽死させる処分を始めました。
またすでに死亡した犬を除く113匹は、感染していない陰性と見られ、府は今後引き取り先を探すことにしています。
これまで動物愛護団体は「十分な検討をしないままの早すぎる処分決定は納得できない」と反発していましたが、きょうの処分について、大阪府は「専門家の意見を踏まえて苦渋の決断をした」と話しています。

もう、言葉にならない・・・

何の罪もない子達。


※画像は 『ナルトとオレオのしあわせ探し』 さんからお借りしました




   ブルセラ症のわんちゃん

人の優しさや、手のぬくもりや


   ブルセラ症のわんちゃん


外の世界や


   
   ブルセラ症のわんちゃん


楽しいことを知らずに、みんな逝ってしまったね。


何のために生まれてきたんだろうね。


キミたちの子供たちは、どこかの家庭で幸せに暮らしてるかもしれない。


私も含めて、ペットショップから買った子達の親犬は、ひょっとしたら、こんな境遇にあるのかもしれない。


…今はただ、人間のエゴによって殺された、あの子達の冥福を祈るのみです。